二俣川、という駅がある。相鉄線に乗って、横浜からしばらく西へ行ったところにある駅だ。ここで相鉄本線といずみ野線が、二手に分かれる。二俣川で線路が二俣に分かれるのだから、できすぎた話である。
神奈川県民なら、この駅名を聞いただけで、思い浮かべるものがあるはずだ。
運転免許センターである。
神奈川県で運転免許の試験を受けられる場所は、昔から二俣川にしかない。1963年からだというから、もう60年以上になる。だから神奈川県民は、人生のどこかで、ほぼ必ず一度は二俣川に行く。行かされる、と言ったほうが近いかもしれない。「明日、二俣川に行ってくる」。それだけで、ああ免許ね、と通じる。県民にだけ通じる、暗号のようなものだ。
私も行った。十代の終わりに、学科試験を受けに。緊張して前の晩はろくに眠れず、電車の中でも問題集をめくっていた。合格発表で自分の番号を見つけたときの、あの小さくガッツポーズをしたくなる感じは、いまでも覚えている。周りには、静かにうつむいて、もう一度問題集を開き直す人もいた。二俣川は多くの人にとって、そういう悲喜こもごもの駅なのである。
久しぶりに行くと、駅前はずいぶんきれいになっていて驚く。2018年に駅直結の大きな商業施設ができて、免許センターも同じ年に建て替わった。私の記憶にある、あの年季の入った試験場の建物は、もうない。緊張するだけの場所だった駅が、買い物と食事を楽しめる街になっている。少し拍子抜けするくらいに、である。
ところで、この土地には、もっと古い記憶も眠っている。
いまから800年ほど前の鎌倉時代、この二俣川の地で、畠山重忠という武将が最期を迎えたと伝えられている。わずか百数十騎で、数万騎の軍勢と向き合ったのだという。近くの「万騎が原」という地名は、そのときの数万騎に由来する、という言い伝えがある。真偽のほどは、私には分からない。ただ、免許センターの帰りに歩いて寄れるような距離に、そういう歴史が静かに横たわっている。
運転する人生が始まる場所と、ひとりの武士の人生が終わった場所が、同じ土地に重なっている。二俣川とは、そういう駅なのだ。
さて、私たちの仕事の話である。
遺品整理の現場では、ときどき、古い運転免許証に出会う。引き出しの奥や、小箱の中から出てくる。写真の中の故人は若く、すこし緊張した顔でこちらを見ている。神奈川のお宅なら、おそらく二俣川で撮った顔だ。私と同じように、前の晩、よく眠れなかったのかもしれない。
運転経歴証明書、というものに出会うこともある。免許を自主返納した方に交付される証明書だ。あれを見ると、私はいつも、少し背筋が伸びる。何十年も運転して、家族を乗せ、荷物を運び、そして自分で決めて、ハンドルを置いた。その一枚は、免許証よりもむしろ、立派な卒業証書のように見える。
免許を取った日。更新のたびの、あの長い列。人によっては、返す日。神奈川県民の人生の節目には、いつもどこかに二俣川がある。
だから、旭区の現場に向かう朝、相鉄線の車窓に二俣川のホームが流れていくと、私は少しだけ、十代の自分を思い出す。問題集をめくっていた、あの落ち着かない自分を。
あのころの私に、教えてあげたい。大丈夫、試験には受かる。そしてその免許で君はいつか、誰かの人生を運ぶ仕事をすることになる——。
(スタッフS)

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