前回、二俣川という駅について書いた。今回も駅の話である。ただし今回は、一つの駅ではなく、ひと区間まるごと。長津田から中央林間まで、田園都市線のいちばん端っこの話だ。
先に言っておくと、この区間は、なぞである。
渋谷から延々とやってきた田園都市線は、長津田——ここは横浜市緑区だ——を出ると、次のつくし野で、するりと東京都町田市に入る。すずかけ台も町田市。南町田グランベリーパークも町田市。そして境川という川を渡ったところで、こんどは神奈川県大和市に入り、つきみ野を経て、終点の中央林間に着く。
つまり、神奈川で始まり、東京を通って、神奈川で終わる。地図で見ると、路線が都県境を縫うようにして走っている。はじめて知ったとき、私は「そんなことしていいのか」と思った。もちろん、いいのである。電車は県境なんて気にしない。気にするのは、人間のほうだけだ。
ちなみに、途中で渡る境川は、その名のとおり、むかしの武蔵と相模の国境だったと言われている川である。国境の川、といっても、いまはコンクリートで護岸された、おとなしい川だ。電車は数秒で渡ってしまう。数秒で国をまたいでいた、ということになる。昔の人が聞いたら腰を抜かすだろう。
この区間、できあがるまでにも、ずいぶん時間がかかっている。
田園都市線の末端部は、一気に開通したわけではない。調べてみると、長津田までが1966年。つくし野までが1968年。すずかけ台までが1972年。つきみ野までが1976年。そして終点の中央林間に着いたのが、1984年である。長津田から中央林間まで、電車ならほんの数駅の距離を、18年かけて、少しずつ、少しずつ延びていった。
この延伸は、「多摩田園都市」という東急の大きな構想の一部だったそうだ。多摩丘陵の雑木林を切りひらいて、何十万人もが暮らす新しい街をまるごとつくる、という計画である。丘を削り、街をつくり、住む人を迎えながら、線路は延びていった。線路が先か、街が先か。このあたりでは、線路と街が、ほとんど同時に生まれているのだ。
ところで、起点の長津田は、JR横浜線と、それから「こどもの国線」という短い線も乗り入れる駅である。こどもの国線は、その名のとおり、こどもの国へ行くための、二駅だけの小さな路線だ。行き先表示に「こどもの国」と掲げた電車が停まっているのを見ると、なんだか童話の中の駅のようで、少しうらやましくなる。ちなみに「おとなの国」行きは、どこを探してもない。あちらには、全員がいつの間にか、片道切符で着いてしまっているからだ。
白状すると、私がこの端っこの区間にやけに詳しいのには、理由がある。子どものころ、東急電鉄の夏の風物詩だったスタンプラリーで、実際にこの駅たちを回っているのだ。たぶん、1986年の夏である。台紙を持って電車に乗り、駅に降りてはスタンプを押し、また電車に乗る。つくし野も、すずかけ台も、つきみ野も、あの夏のスタンプラリーで初めて降りた駅だった。目的はスタンプなのだから、駅前に何があったかは、ほとんど覚えていない。ただ、夏の匂いと、スタンプのインクの匂いだけは、いまでも思い出せる。駅というのは、そうやって人生に登録されていくのである。
それからこの区間には、つくし野とつきみ野という、たいへんまぎらわしい二つの駅がある。最初の二文字が同じ「つ」と「き」の親戚のような名前で、同じ路線の三駅違い。はじめて来た人は、たいてい一度は取り違える。しかも片方は東京都町田市、もう片方は神奈川県大和市だから、駅を間違えると、都県まで間違えることになる。日本でこんな取り違え方ができる区間は、そう多くないはずだ。
だからこの区間の駅名には、それぞれ、名付けられたときの物語がある。
私が好きなのは、すずかけ台だ。
駅のそばに、東京工業大学——いまは名前が変わって東京科学大学になった——のキャンパスがある。駅ができるとき、東急が最初に考えていた駅名の案は「南つくし野」などだったそうだ。ところが、大学の先生が別の名前を提案した。古代ギリシャで、プラトンが学園を開いた場所には、すずかけの木が植えられていた。だから、学問の街の駅は「すずかけ台」がいい、と。そして、その案が通った。
田園都市線に乗っていて、すずかけ台、という柔らかいアナウンスを聞くとき、その裏にプラトンがいると知っている人は、どれくらいいるのだろう。哲学者の名前は駅名にならなかったが、哲学者の庭の木が、駅名になった。いい話だと思う。ついでに言うと、この駅、所在地は東京都町田市なのだが、駅の裏手はもう横浜市緑区である。改札を出て数分歩くと県境をまたげる。哲学と県境が同居している駅なのだ。
そして、南町田グランベリーパークである。
まず、駅名が長い。もともとこの駅は「南町田」という、簡潔な名前だった。それが2019年の秋、駅前の再開発にあわせて「南町田グランベリーパーク」に改称された。商業施設と公園の名前が、そのまま駅名に入っている。日本でも珍しいタイプの駅名だと思う。駅名を聞くだけで、買い物袋の音がする。
かつてここには、アウトレットのモールがあった。それがいったん役目を終えて閉じられ、隣の公園と一体の、新しい大きな街に生まれ変わった。いまでは週末になると、家族連れが改札からあふれてくる。スヌーピーの美術館まである。急行も停まるようになった。駅名が変わる、というのは、街の人生が変わる、ということなのだ。
この駅については、個人的に、もうひとつ覚えていることがある。かつてこのあたりには、カルフールという、フランス資本の大きなスーパーがあったのだ。売り場がとにかく広くて、そして何より、買い物カートごと乗れる長いエスカレーターがあった。カートの車輪がすっと固定されて、斜めの動く歩道を、ゆっくりゆっくり上っていく。いまならコストコなどで普通に見かける光景だが、当時はあれが貴重だった。カートを押して乗るためだけに、少し遠回りをした覚えがある。フランスのスーパーは、いつの間にか日本から撤退してしまった。それでも、あのエスカレーターのゆっくり上っていく感じだけは、妙にはっきり覚えている。外国の風が、16号線のそばまで吹いていた時代の話である。
ついでに書いておくと、駅名の改称というのは、終電が行ってしまったあとの深夜に、一晩で行われるのだそうだ。駅名標を外し、新しいものを掛け、案内表示を替え、始発までにすべてを終える。人々が眠っているあいだに、駅は名前を変えている。朝、目を覚ました人たちは、新しい名前になった駅から、いつもどおり会社や学校へ出かけていく。人生の変わり目というのも、案外そういうふうに、誰かの眠っているあいだの静かな作業で、進んでいくものなのかもしれない。
念のため申し上げておくと、ここは東京都町田市である。よく「町田は実質神奈川」などと冗談を言われるけれど、れっきとした東京都だ。ただ、その冗談が生まれる気持ちも、この駅に立つとよく分かる。すぐそこを国道16号が走り、東名の横浜町田インターも近い。横浜ナンバーの車が行き交い、電車に乗れば数分で神奈川に戻る。地図の線と、暮らしの実感が、微妙にずれている場所なのである。
16号という道路は、不思議な道だ。東京をぐるりと囲む環状の国道で、沿道にはロードサイドの店が延々と続く。家具の店、車の店、大きな書店、ファミリーレストラン。日本中の郊外の風景の、いわばお手本のような道である。休日の家族の思い出は、案外、ああいう道の上でつくられている。私たちが現場で車を走らせるのも、こういう道が多い。
さて、終点の中央林間に着く。
ここで田園都市線は、小田急江ノ島線と交差して、終わる。中央林間、という名前もまた、物語のある名前だ。
いまから100年近く前、小田急がこのあたりに「林間都市」という街をつくろうとした。雑木林の広がる台地に、東林間都市、中央林間都市、南林間都市という三つの駅を置いて、新しい都市を開こうという、壮大な計画だったそうだ。けれど計画は思うように進まず、やがて駅名から「都市」の二文字が外された。東林間、中央林間、南林間。都市になれなかった林間だけが、駅名に残った。
ところが、である。
それから半世紀ほどたった1984年、田園都市線が中央林間まで延びてきた。渋谷まで一本でつながる終点の駅として、中央林間は急ににぎやかになった。つまり、「都市」の看板を下ろしたずっとあとになって、本物の都市のほうが、向こうから追いついてきたのである。計画は未完に終わったのに、名前だけが先回りして、現実を待っていた。駅名というのは、ときどき、そういう気の長いことをする。
さて、私たちの仕事の話である。
遺品整理の仕事をしていると、行政の境界線について考えることが、わりとある。私たちの対応エリアは横浜市と川崎市で、緑区や青葉区のお宅にもよく伺う。まさに、この路線の沿線だ。
そして現場で気づくのは、人の暮らしというものが、行政の線をまるで気にしていない、ということだ。住まいは横浜でも、買い物は町田、ということは普通にある。残されたものたちは、市境や県境とは関係のない、その方だけの地図を描いている。よく行った店、よく歩いた道、よく乗った路線。行政区分の地図とは別の、暮らしの地図である。遺品整理というのは、ある意味で、その地図を最後にたどりなおす仕事なのかもしれない。
たとえば現場では、古い定期券に出会うことがある。券面には、区間が印字されている。どの駅からどの駅まで、その方が何年も、毎朝毎晩、往復していたのか。履歴書のどこにも書かれない、けれど確かにその方の人生の背骨だった区間である。もし長津田経由の定期券だったら、と想像してみる。あの方も、つくし野とつきみ野を一度くらい取り違えただろうか。すずかけ台の名前の由来を、誰かに話したことがあっただろうか。車窓の境川を、何回渡っただろうか。
電車が県境を気にせず走るように、人の一生も、線を気にせずに広がっていく。そして誰の人生にも、始発の駅と、いくつかの乗換駅と、終着の駅がある。
長津田から中央林間まで、18年かけて延びた線路の上を、電車はいま、十分足らずで走り抜けていく。窓の外を、三つの市と、二つの都県が流れていく。乗客のほとんどは、境目に気づかない。
それでいいのだと思う。境目というのは、たぶん、あとから地図を見て、へえ、と言うためにあるのだ。
(スタッフS)

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