はじめまして。スタッフWと申します。
この仕事に就いて、十年近くになる。現場ばかり踏んできた。だから書くのは得意ではない――と、言いたいところなのだけれど、喋るのは得意である。困ったことに、喋りすぎる。現場で、お客さまのお話を聞いているうちに、気がつくと自分のほうが喋っている。たしなめられることもある。それでも、やめられない。喋ると、相手も喋る。相手が喋ると、こちらは聞くことになる。聞くと、現場の見え方が変わる。
この仕事は、物を運ぶ仕事だと思われている。半分は、そのとおりである。もう半分は――まあ、順を追って話そう。
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形見、という言葉がある。
「かたみ」は、もともと「形を見る」もの、だったらしい。亡くなった人の形――姿、ということだろう――を、それを見ることで思い出す、よすが。万葉のころからある古い言葉だと聞く。形見分け、という風習も古い。着物を分け、櫛を分け、それを身につけることで、死んだ人をこちら側に少しだけ留めておく。
物に、想いが宿る。
そういう言い方を、私たちはする。けれど私は、あれは半分ほんとうで、半分はそうではないと思っている。宿っているのは、物のほうではない。見る側に、宿っている。物は、ただそこにあるだけだ。それを見た人の中で、何かが起きる。だから形見は「形を見る」なのだ。見る人がいなければ、形見はただの古い櫛である。
――などと、現場で言うわけにはいかない。言わないが、思ってはいる。
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さて、鉢植えの話である。
ある現場で、こういうことがあった。と言っても、どこの誰とも分からないように書く。ご依頼主は、亡くなったお母さまの、娘さんだった。
お宅には鉢植えがたくさんあった。ベランダにも、玄関にも、窓際にも。お母さまは、育てるのが上手な方だったのだと思う。枯れているものが、ほとんどなかった。亡くなってから何週間か経っているのに、である。娘さんが、通っては水をやっていたのだ。
主がいなくなると庭木が枯れる、という言い伝えがある。木が悲しむのだ、と言う人もいる。私は、水をやる手がなくなるからだと思う。――そういう身も蓋もないことを、つい口に出してしまうのが、私の悪い癖である。その日は、言わなかった。枯れていなかったからだ。
「この二つは、持って帰りたいんです」
娘さんが指したのは、ふたつの鉢だった。ひとつは、腰の高さほどの、大きな鉢。陶器で、ずっしりと重い。中の木は、天井に届きそうだった。もうひとつは、両手で抱えられるくらいの、小さな鉢。こちらは花物で、名前は伏せるけれど、お母さまが毎朝、葉の裏まで見ていたという。
「どちらも、母がいちばんかわいがっていたので」
私は、うなずいた。うなずいてから、少しだけ黙った。
娘さんのお住まいは、集合住宅だと伺っていた。ベランダはあるけれど、広くはない。大きいほうは、鉢と土と木を合わせたら、おとな二人がかりの重さになる。エレベーターには入る。玄関も通る。けれど、置いたら、ベランダはそれで終わってしまう。それに、ふたつ――。
ふたつは、多い。
これは経験上の話で、意地悪で言うのではない。形見は、ふたつ持って帰ると、どちらかが「余る」。余ったほうは、だんだん見なくなる。見なくなった形見は、形見ではなくなってしまう。見る人がいて、はじめて形見なのだから。
で、私は喋った。
「あの、ひとつ、ご提案なんですけど」
娘さんが、顔を上げた。
「大きいほうの鉢の土を、小さいほうの鉢に、混ぜませんか」
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土である。
鉢植えには、土が入っている。当たり前のことだ。けれど、形見として鉢植えを見るとき、人はまず葉を見る。花を見る。幹を見る。土を見る人は、あまりいない。
でも、お母さまが毎日触っていたのは、たぶん土なのだ。
水をやるとき、人は土を見る。指を差し込んで、乾き具合を確かめる。肥料を置く。固くなった表面を、割り箸でほぐす。鉢を回す。植え替える。十年、二十年と育った木なら、その土は、何度も何度も、同じ手で触られている。
葉は、生え変わる。花は、落ちる。幹は、伸びる。
土だけが、ずっとそこにいる。
――そういうことを、私は娘さんに、たぶん必要以上に喋った。喋りながら、言い過ぎたかな、と思った。けれど、娘さんは泣かなかった。笑った。
「母も、そう言うと思います。土が大事なのよ、って、よく言ってたので」
大きいほうの木がどうなったかは、ここには書かない。ただ、娘さんが「余らせる」ことなく決めたこと、そして小さい鉢の土に、大きい鉢の土が、ひと握りではなく、きちんと混ざったことだけを書いておく。それと、小さい鉢は、娘さんの車の助手席に、シートベルトをして乗って帰った。
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ついでに、現場の人間として、少しだけ実務の話をしておく。
鉢植えの処分は、意外と厄介である。鉢は、陶器なら燃えないごみ。プラスチックなら自治体ごとに扱いが分かれる。植物そのものは、たいてい燃えるごみ。問題は土だ。私の知るかぎり、土を家庭ごみとして出せる自治体は少ない。横浜市も川崎市も、市の収集には出せない扱いだったはずで――ただ、こういう決まりは変わるので、最新のところはお住まいの区にご確認いただきたい。
だから、「鉢植えは全部そちらで」と言われると、私たちは土の行き先を、先に考える。それが仕事だ。けれど、その前に、ひとつだけ聞くようにしている。
「残したい鉢は、ありますか」
全部処分、と決めてしまう前に。あるいは、全部持って帰る、と決めてしまう前に。
当社は、「残すもの」を先に決める、という順番を大切にしている。鉢植えに限らず、何を残すかが決まると、何を運ぶかが決まる。運ぶ量が決まると、費用も見えてくる。順番が逆になると、どこかで、何かが「余って」しまう。
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形見は、形を見るものだという。
けれど、見るべきは、形のほうではないのかもしれない。葉でも、花でも、幹でもなく。毎朝、同じ手が触れていた、土のほう。
鉢植えには、土が入っている。
当たり前のことである。当たり前のことを、人は、忘れる。
(スタッフW)
※トップの写真は、路地に並んだ鉢植えと、通りがかりの猫。当社スタッフが撮影しました。©northpole.inc


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